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九十九十九という存在は一体何だったのか。舞城作品のストーリーの意味【舞城王太郎】

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 今朝、舞城王太郎の「九十九十九」を読み終えた。そしてやっぱり舞城は長編になればなるほど良いと感じました。舞城作品は長くなればなるほど複雑な世界が形成され、意味不明なことが一杯起こるのだ。

 

【一応ネタバレ注意】

 

 さて、一章を読んで二章を読むと、そこであることに気付く。それはこの小説がいわゆるメタ小説的な構造であるという事だ。二章の中に一章が内包されていて、三章を読めば三章の中に二章が内包されていることが分かる。そうして最終章に至るまでに現実と虚構が複雑に絡まり合い、読者としてはその世界の構造を解こうとするというより、もはや今書かれている文章だけを真面目に読むことぐらいしかできなくなる。

 しかし、私はこの複雑な物語が最終的にどこに行きつくのか、分かっていた。舞城作品を多く読んだことがある人ならば、多分予想はつくものだと思う。言ってしまうと、それは「愛」なのである。

 では、毎回「愛」について書かれていて、読者として飽きはこないのかと聞かれたならば、飽きないとはっきり言うことが出来る。これは舞城がしばしば純文の分野と混合される理由だと思うのだが、舞城の書く小説はストーリーが壮大なものが多いが、実のところストーリーは大した問題じゃないのである。つまり文体や描写が問題になるのである。文体は言わずもがなだが、描写としては、いとも簡単に目玉を取り出してみたり、人間の内臓などを取り去ってその皮の中に入り込んで死人に成りきったり、首が三つあったり。これまでに読者が読んだことの無い描写がこれでもかというほど詰め込まれているのが舞城であり、舞城作品を読む理由にもなり得るのだろう。

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