仄暗いほど柔らかい

晴読雨読の日々をつらつらと...

言語破壊装置としてのダダ。ツァラによる「ダダの詩を作るために」と言う名の作詩法。

f:id:ryotakobashi:20180417021109j:plain

 塚原史「ダダ・シュルレアリスムの時代」を読んでいるのですが、これがめちゃくちゃ面白い。シュルレアリスムという単語は聞き覚えがある人も多いかと思いますが、ダダという言葉はどうでしょうか?丁度ダダに関する章を読み終えたので、面白いと思った箇所をピックアップしたいと思います。

 

【そもそもダダとは?】

 ダダの創始者として、ルーマニアの詩人ツァラがあげられる。彼を中心とするダダが追及したことは、端的に言えば「意味との切断」である。

 「ダダは何も意味しない」というフレーズをいわゆるダダの人たちは掲げていた。つまり、言語を意味作用から切り離すのである。この状態においては、秩序=無秩序、私=非私、肯定=否定なのである。意味から切り離された言葉は、文字通りモノ=オブジェとして、ただの偶然によって漂流する。

 具体例を出すと、ツァラによる「ダダの詩を作るために」という名の作詩法がある。手順を説明すると、

【作詩の手順】

①新聞を用意する ②はさみを用意する ③つくろうとする詩の長さの記事を選ぶ

④記事を切り抜く ⑤記事に使われた語を注意深く切り取って袋に入れる

⑥袋をそっと揺り動かす ⑦切り抜きを一つずつ取り出す

⑧袋から出てきた順に一語ずつ丹念に写し取る ⑨きみにふさわしい詩ができる

といった感じである。暇があればやってみてほしい。

 

 更に演劇においても、第一幕では「そうでしょう?」「そうとも」、第二幕では「ええ、知っています」「ありがとう、わるくないね」という言葉だけを限りなく反復することによって、私たちが普段無意識に使っている表現がいかに無内容なものであるかを示して見せたりした。

 ダダは面白い。たしか詩人中原中也もダダに関心があったのではなかったろうか?次の章からシュルレアリスムが始まる。数多く現れるシュルレアリスト達の変遷を楽しんで読もうと思っています。

 

ダダ・シュルレアリスムの時代 (ちくま学芸文庫)

新品価格
¥1,404から
(2018/2/16 22:39時点)